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熊本地方裁判所 平成6年(ヨ)136号 決定

主文

一  債務者は、債権者宇山英一郎に対し、別紙物件目録一記載の土地上の別紙建設工事目録記載の建物について、西側一区画を八階以上(七階を超える部分)の建築工事をしてはならない。

二  債務者は、債権者樋口博幸、同宇山英一郎、同古山勝弘、同石松信彦、同古川徹、同清水泰生、同井上譲治、同小樋啓市に対し、別紙建設工事目録の建物の西側一区画の各居室の北側に面する窓に型入りガラス(すりガラス)を設置せよ。

三  債権者らのその余の申立てをいずれも却下する。

四  申立費用は債務者の負担とする。

理由

第一  債権者らの申立て

一1  (主位的申立て)

債務者は、別紙物件目録一記載の土地上に別紙建設工事目録記載の建設工事をしてはならない。

2  (予備的申立て(一))

債務者は、別紙物件目録一記載の土地上の別紙建設工事目録記載の建物について、西側一区画を七階以上(六階を超える部分)の建築工事をしてはならない。

3  (予備的申立て(二))

債務者は、別紙物件目録一記載の土地上の別紙建設工事目録記載の建物について、西側一区画を八階以上(七階を超える部分)の建築工事をしてはならない。

二1  (主位的申立て)

債務者は、別紙建設工事目録記載の建物の北側廊下の窓沿いに、別紙物件目録三記載の建物内が見通せないための目隠し(スクリーン)を設置せよ。

2  (予備的申立て)

債務者は、別紙建設工事目録記載の建物の北側に面する廊下沿い及び別紙図面一記載〈1〉ないし〈20〉の各窓に、別紙物件目録三記載の建物内が見通せないための型入りガラス(すりガラス)を設置せよ。

第二  事案の概要

本件は、別紙物件目録二記載の土地上にある同目録三記載の建物(以下「債権者建物」という。)に居住している債権者らが、同土地建物の所有権及び人格権に基づいて、債務者が別紙物件目録一記載の土地上に建築しようとしている別紙建築工事目録記載の建物(以下「本件建物」という。)の全部又は一部の建築工事禁止を求めるとともに、プライバシー侵害を理由として、本件建物の北側廊下の窓沿いへの目隠しの設置等を申し立てた事案である。

第三  当裁判所の判断

一  前提事実

《証拠略》及び当事者間に争いのない事実によれば、以下の事実が一応認められる。

1  当事者

(一) 債権者建物は、シティパル健軍という名称の、北側にある地上一三階建のA棟四六世帯と南側にあるメゾネット・タイプの地上四階建のB棟八世帯から構成される建物である。

債権者らは、B棟に債権者清水泰生(一〇一号室)、同井上譲治(一〇二号室)、同樋口博幸(一〇三号室)、同宇山英一郎(一〇四号室)、同古山勝弘(二〇一号室)、同石松信彦(二〇二号室)、同古川徹(二〇三号室)、同小樋啓市(二〇四号室)の八名が、A棟に債権者岡本彰一(四〇三号室)、同角田裕一(七〇四号室)、同末松みどり(一〇〇四号)、同長井祐二(一一〇一号室)、同中山博喜(一二〇二号室)の五名がそれぞれ居住している。このうち、債権者古山勝弘、同清水泰生、同井上譲治、同小樋啓市は、債権者建物の所有者の家族であるか又は所有者から賃借している者であり、その余の債権者らは債権者建物及びその敷地を所有している者である。

なお、債権者らは、債権者建物に居住する五四世帯を代表し、債権者建物の管理組合の理事長である債権者岡本彰一らが債権者となつたものである。

(二) 債務者は、本件建物の建築を計画して、平成六年三月四日、同建物の建築確認を受けた者であり、既に建築工事を開始させている。なお、本件建物の各居室は、同年四月二七日から販売され、本件申立ての審理中に既に完売されている。

2  本件建物の概要

本件建物は、鉄筋コンクリート造一一階建、戸数七四戸の分譲マンションである。

本件建物の最高の高さはエレベーター機械室部分の三七・三〇メートルであり、東側一一階部分の高さは三〇・七〇メートル、西側一〇階部分の高さは二八・五〇メートルである。

一階はエントランスホール、管理室のほかは駐車場、自転車置場であり、二階から一一階までが住居となつている。

3  本件建物と債権者建物との位置関係

本件建物と債権者建物とは、別紙図面二記載のとおり、債権者建物の南側に本件建物が建築される位置関係にあり、両者の南面はほぼ南南東を向いて建てられている。

本件建物と債権者建物との距離は、最も近い本件建物の西端居室部分北側からB棟南側までの直線距離で二一・二〇メートル、その他の居室部分北側からB棟南側までの直線距離で二四・七〇メートルであり、また、本件建物の西端居室部分北側からA棟南側までの直線距離で四九・三五メートルである。

本件建物と債権者建物の間には、幅員四メートルの私道が通つている。本件建物の住居部分北端から右私道との境界までの距離は、最も近い西端の居室の北側窓からで一三・九五メートル、その他の居室の北側窓からで一七・四五メートルであり、他方、債権者建物のB棟南端から私道との境界までの距離は三・二五メートルである。

なお、債務者は、本件建物の敷地東側の市道からの侵入道路として、本件建物南側に幅六メートルの車路を確保している。これは、本件建物の北側の市道が狭く、大型の消防自動車が出入りできないため、南側に消防自動車の出入りに必要な道路幅を確保するようにとの消防局の指導があつたためである。

4  本件建物周辺の用途地域、日影規制の適用の有無

本件建物及び債権者建物の敷地は準工業地域であるが、条例による指定がないため、日影規制の対象外とされている地域である(争いがない。)。

5  本件建物周辺の状況等

本件建物及び債権者建物のある一帯は熊本市東部に位置し、比較的近くには、免許センター、熊本赤十字病院、熊本県立大学などの公共施設が集まつたいわゆる新興住宅街である。しかし、本件建物及び債権者建物は、幹線道路からはずれた所にあり、周囲は、幅四メートル程度の狭い道路で区画され、平家建又は二階建の一戸建住宅が立ち並んでいる。債権者らが債権者建物を購入、入居した平成三年三月当時は、本件建物の敷地部分も一戸建住宅用地として売りに出されていた。一帯には、マンション等の集合住宅も存在するが、六階建以上のマンションは右公共施設の付近や幹線道路沿いに集中しており、本件建物付近は五階建以下のマンションがほとんどで、周辺の住宅にはおおむね良好な日照が確保されている。本件建物の周囲の一戸建住宅が老朽化しているといつた状況は特に窺えず、今後、本件建物周辺に中高層建物が急速に増加する可能性は認め難い。

6  日照阻害の状況

本件建物が建築されるまで、本件建物の敷地は広大な空き地となつており、債権者らは何の支障もなく日照を享受することができていた。

本件建物が建築された場合、債権者建物は、冬至において、B棟の最も東側に居住する債権者小樋(二〇四号)の三階部分で午前八時から午後〇時四五分ころまでの四時間四五分日影となり、債権者宇山の居住する一〇四号ではより日影時間が長くなり、同債権者の二階部分でほぼ五時間日影となるものと推測される。これに対し、A棟では最も東側の二階部分で午前八時から午前一〇時三〇分までの二時間三〇分日影となる。

また、債権者建物は南南東向きに立てられているため、午後二時を過ぎると、日差しはほとんど室内に差し込まない。

二  建設工事の差止めについて

1  本件建築工事差止請求の当否における争点は、本件建物による債権者建物に対する日影が受忍限度を超えるものであるか否かである。

ところで、建築基準法その他の公法的規制は、一般的・概括的に種々の利益衡量を行つているものであり、将来建物建築を予定する者の法的安定性や予測可能性の観点からも、公法的規制への適合性は、私法上の受忍限度の判断に当たり、十分尊重されなければならない。しかし、建築基準法は、「最低の基準を定めて、国民の生命、健康及び財産の保護を図」るものであるし(同法一条)、同法における利益衡量も一般的・概括的なものであるから、私法上の受忍限度とは必ずしも一致するものでなく、したがつて、当該建物が同法における日影規制対象外の区域に建てられるものであることから、直ちに当該建物による日影が私法上の受忍限度を超えるものではないとみるのは相当でない。すなわち、当該建物が日影規制対象外の区域に建てられることは、重要ではあるが、利益衡量の一つの要素にすぎないというべきであり、問題となる具体的・個別的な事情を総合的に比較衡量して、受忍限度を超えるものか否かを判断すべきである。

2  前記認定の事実によれば、本件建物及び債権者建物の敷地は準工業地域のうち、日影規制対象外とされている地域であるから、公法的規制の上では、建物を建築するに際し、当該建物が与える日影について、特別の配慮を要しないことに一応なつている。しかし、本件建物周辺は一、二階建の一戸建住宅が多く、それらはおおむね良好な日照を享受しており、債権者らもこれまで何らの支障もなく日照を享受してきたのであるから、このような債権者らの日照享受の利益について十分配慮する必要があるというべきである。

ちなみに、準工業地域で日影規制の対象とされた区域においては、高さが一〇メートルを超える建築物につき、平均地盤面から四メートルの高さで、冬至日の真太陽時による午前八時から午後四時までの八時間のうち、敷地外から五メートルから一〇メートルの範囲内においては五時間、敷地外から一〇メートル以上の範囲においては三時間の日影を生じさせてはならないとされており(建築基準法五六条の二)、敷地が道路と接する場合、当該道路に接する敷地境界線は、当該道路の幅の二分の一だけ外側にあるものとみなされている(同法五六条の二第三項、同法施行令一三五条の四の二)。前記認定の事実によれば、本件建物は高さ一〇メートルを超えるものであり、その敷地は北側で幅四メートルの私道に接し、また、私道から北側の債権者建物までの距離は三・二五メートルであるから、債権者建物は、本件建物の敷地外から五ないし一〇メートルの範囲内に位置することになるから、仮に日影規制の対象区域とされた場合、本件建物は債権者建物に冬至日において、五時間の日影を生じさせてはならないことになる。そして、債権者宇山の居住する一〇四号の二階部分でほぼ五時間の日影を生ずることは前記認定のとおりであるから、本件建物が債権者宇山に与える日影は、建築基準法の規制の範囲ぎりぎりということになる。

右の点に加え、債権者建物の室内には午後の日差しはほとんど差し込まないことを併せ考慮すると、本件建物が債権者らに与える日影のうち、最も被害の大きい債権者宇山に与える日影は受忍限度を超えるものというべきである。これに対し、その余の債権者に与える日影は、日影となる時間の長さからみて、受忍限度の範囲内にとどまるといわざるを得ない。日照阻害の程度は各債権者ごとに個別に検討すべきであるから、債権者らが債権者建物の居住者の代表であるという本件における特殊事情は、考慮に入れることはできない。

なお、《証拠略》によれば、債権者建物、特にA棟は北東側の住居に対し、日照阻害を及ぼしていることが一応認められるから、このような債権者建物の居住者である債権者らは、自らの被る日照阻害も甘受すべきであるとの考えもあり得るところである。しかし、特定の者に対し、具体的にどの程度の日照阻害を及ぼしているかについては疎明がないし、その者と債権者建物を建設販売した業者との間で補償交渉等により問題は解決済みである可能性も十分あるから、右疎明事実のみでは前記受忍限度を覆すに足りないというべきである。

3  ところで、《証拠略》によれば、本件建物の西側一区画を七階建とした場合、冬至時の四・〇〇メートルの測定面において、午後〇時一五分ころには日照が確保されることが一応認められる。したがつて、建物の西側一区画の八階以上(七階を超える部分)の建築工事の禁止は、債権者宇山の日照阻害を受忍限度内にとどめるための差止めとして、債務者に最も影響の少ない部分であると認められ、この部分の工事差止は債務者において甘受すべき範囲内というべきである。

そして、本件建物が当初の計画どおりに完成すると、後日その一部を撤去することは著しく困難となることが明らかであるから、保全の必要性も認められる。

よつて、本件建物の建築工事の禁止を求める債権者らの本件申立ては、右の限度で理由がある。

三  目隠し等の設置について

1  前記一において認定したとおり、本件建物と債権者建物との距離は、最も近い本件建物の西端居室北側とB棟南側との間で二一・二〇メートル、その他の居室部分で二四・七〇メートルであり、本件建物の西端居室北側とA棟南側との距離は、四九・三五メートルであること及び《証拠略》によれば、本件建物のうち西側の三区画の各居室の北側窓から、債権者らのうちB棟に居住する債権者樋口、同宇山、同古山、同石松、同古川、同清水、同井上、同小樋の各居室を見通すことができると一応認められるが、A棟に居住する債権者らの各居室を見通すことができるとは認められない。よつて、右八名の債権者らについて、本件建物の建築によりプライバシーが侵害されるおそれがあるというべきである。

2  目隠し(スクリーン)設置の申立てについて

(一) 《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。

(1) 消防法一七条は一定規模以上の共同住宅の関係者に、政令で定める消防の用に供する設備等の設置等を義務づけているが、同法施行令三二条及びこれを受けた通達(昭和五〇年五月一日消防安第四九号)は、共同住宅等の消防用設備等の技術上の特例基準を定めて、一定の構造、設備等の基準に適合するものについては、右設置等の義務を緩和しており、本件建物は、通達(昭和五〇年一二月一三日消防安第一九〇号)の定める開放型住戸に該当するため、屋内消火栓の設置、一〇階以下の部分の自動火災報知設備の設置等が免除されている。そして、開放型住戸といえるためには、直接外気が流通する部分で、手すり等の上端から小梁、たれ壁の下端までの高さが一メートル以上であることを要するとされている。したがつて、仮に本件建物の北側廊下に目隠しを設置すると、開放型住戸として右特例基準に該当しないことになり、屋内消火栓、自動火災報知設備の設置が義務づけられることになる。

(2) 建築基準法施行令二条一項三号は、建築物の床面積算定方法を定めているが、昭和六一年四月三〇日建設省住宅局建築指導課長通達によれば、外気に有効に開放されている部分の高さが一・一メートル以上で、かつ、天井の高さの二分の一以上である吹きさらしの廊下の場合、幅二メートルまでの部分を床面積に算入しないものとされ、本件建物もこれに従つて床面積が計算されている。したがつて、仮に北側廊下に目隠しを設置すると、床面積が異なつてくる結果、建築基準法五二条違反となる。

(二) 右認定事実によれば、債務者が本件建物の設計に当たり、債権者らのプライバシーに配慮して北側廊下に目隠しを設置することは全く考えていなかつたことは明らかである。また、債務者は、〈1〉本件建物の北側又は債権者建物の南側への樹木の植栽、〈2〉債権者建物の家屋内へのブラインド、カーテン等の設置、〈3〉債権者建物の各部屋の外側へのビニールやクロスなどの庇の設置等の方法を主張するが、〈1〉は高い階から見通されることに対する対策としては不十分であるし、〈2〉は既に債権者らにおいて設置済みで、改めて必要のないものであり、さらに、〈3〉はもつぱら債権者らに不自由を強いるものであるなど、いずれも債権者らのプライバシー保護の適切とはいえない。これらを総合すると、債務者には債権者らのプライバシーに対する配慮が足りないというべきである。

しかし、本件建物の北側廊下に目隠しを設置することは、法令違反の問題等から債務者に大幅な設計変更を強いることになるし、他方において、《証拠略》によれば、本件建物の各居室(ただし、東西両端の一区画の居室を除く。)の北側廊下に面する窓には、型入りガラス(すりガラス)を設置する予定であり、これにより前記債権者らのプライバシー侵害のおそれはかなり回避されると一応認められるから、北側廊下に目隠しの設置を求める必要性はないといわざるを得ない。

3  型入りガラス(すりガラス)設置の申立てについて

本件建物の各居室(ただし、東西両端の一区画の居室を除く。)の北側廊下に面する窓には、型入りガラス(すりガラス)を設置する予定であることは、右2で認定したとおりであるから、この部分については、申立ての必要性がないといわざるを得ない。

また、前記1において認定したとおり、債権者樋口ら八名の居室を見通すことができるのは、本件建物の西側三区画であるから、それ以外の部分の窓につき型入りガラス(すりガラス)を設置する必要性も、本件における債権者らとの関係では認められない。

以上に対し、本件建物の西端一区画の北側窓を型入りガラス(すりガラス)にすることは、債権者らのプライバシー侵害を予防する手段として相当であり、かつ、いつたん本件建物が完成した後に窓ガラスを入れ替える費用、手間を考慮すれば、事前に設置する必要性も認められる。

よつて、目隠し等の設置を求める債権者らの本件申立ては、右の限度で理由がある。

四  以上のとおり、債権者らの本件申立ては主文掲記の限度で理由があるからこれを右限度で認容し、その余はいずれも失当として棄却することとし、右認容部分について、債権者らに別紙担保目録記載の担保を立てさせて、主文のとおり決定する。

(裁判官 大薮和男)

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